昭和59年11月18日 月次祭



 今日とつあのう昼食前に何時も休ませて頂いておりますが、久し振りに父のお夢をお頂きました。青年の時の様にまぁ生き生きとしておりましたが、私の父は二人の弟がございまして、三人兄弟でございます。もう皆んな亡くなっておりますが、その三人のこの兄弟が自動車でどっか料亭なんか、食事に行こうと行っておる。三人共私が頂いておる、まぁ大変上等のもう着物を3人共まぁ私の着物を着とるんです。であのやっぱいいものですから見た目にゃいいんですけども、どうも3人共あの着こなしが出来ん。
 どうか襟の元がどうか妙な風であったり、どうか羽織の着方がおかしかったり、帯の仕方が悪かったり、何かこうそぐわない感じなんです。はぁもうわざわざ他所までご飯頂きに行かんで合楽の方がごっ馳走はあるがと、私が申しましたけれども3人がまいる。そして暫くしたら帰って参りましてから、もうどっこも汚くてもうたいして美味しいもんも無かった。でけんもう家で皆んな頂きましょうと言うておるところで目が覚めた。
 私の父が亡くなりまして今年はまる10年になりますから。10年の式年祭が今度12月にさせて頂こうとこう思って大ります。御霊様のご様子をまぁお夢の中で頂いたような気が致しましたが。確かに私の家だけではない親戚一同の信心もない、いうなら叔父たちをも、合楽の御比礼に御霊ながら浴しておると言う事は、あのう私の着物を着ておると言う事からまぁ感じたんですけれども、いわゆる合楽での御比礼おかげに浴しておるんだけれども、そのおかげをおかげとよく分らん。
 言うならば着こなしが出来ていないと言う事を、今日は私はどんな事だろうかと思うとったけれども。只今お祭りを頂きながらその事を思うて。ははぁこなしが出来ていないんだなぁ。これは有り難くそれで皆んな合楽にご縁を頂く人達の、頂かなければならない事柄だなぁと思って、今度お話をさして頂いておる訳でございます。どんなに素晴らしい着物であってもやはり着こなしが良くないと、その値打ちを発揮する事もその良さを感じる事も、着て着心地良い気分が良いと言う事ではなりません。
 合楽で皆さんがまぁ言うならご理念に基づく教導を頂いて、もうこれがぎりぎりこれからはもう過去頂いて参りました、御理念の内容というものをいよいよ広く深く、今まで気が付かなかったところにも、言うならばそりゃ再教育と申しますか、まぁ今日の御理解で言うと、もう一辺噛み砕いて見なければいけない。租借が足りない。最近私は入れ歯がどうもがばがばするちゅて言いよりましたから、は早速のう茂雄さんの息子さんが技工士をしておりますから、まぁ連絡されたらしいんです。
 今日はわざわざお休みでしたからちゅうて来てくれました。で型を取ってこの前のも和幸さんといいますが、和幸さんがやってくれて、今度またおかげ頂きたいと言うて今日来て来れましたから。その以前の歯を入れておりましたけれども、どうも痛い。なんか今日は歯なしでここに出らして頂いた様なもんですがね、やはり歯なしは固いものも食べられませんが、もちろん租借する事は出来ません。
 私共がせっかく頂いておる素晴らしい、なら錦紗の着物でも金糸の着物でも、せっかくおなじ呼ばなければ、その錦紗の着物の値打ちがないように。合楽ではこれが最高だと言う教えを頂いても、それを頂きこなす事が出来なかったらこれは、重荷になったり言うなら、宝の持ち腐れと言う様な事にもなりかねませんのですから、もう一辺今日よくあのう租借して見る、不平があり不足がある。
 こだわらんでもよいところにこだわる、そういうこだわりの心とか不平不足の心がもし起こったならば。先ず根源の租借が出来ていないんだと、ふたりさすらにゃいけません。そしてもう一辺ね、もうなんもうそれこそ自分の信心の血に肉になっておると思うておる事柄も、もう一辺租借してみて、ははぁなるほど頂き方が足りなかった浅かったと言う事がわかる。
 なるほどこだわる事もいらなければ、不平不足どころかお礼を申し上げねばならない様な事に、不平不足の心が起こったり、こだわったりする自分に気がづく訳であります。どうでも嘘つく私しゃこれからの合楽の皆さんね、今まで頂いた教えをもう一辺反復して、清くこれを頂きこなす、稽古をさせて貰わなければなりません。が今言う様に初期の心がが起こったり、こだわる心が起こったりとする時にです。はぁいわゆる租借が足りなかったんだと思うて、もう一遍教えを頂き直す。
 いわゆるもう一辺実験実証しなおさせて頂いて、不平不足のないこと事にこだわる事のない。言うならば心を頂きたい。今日あのうテレビを見せて頂いておりましたら、あっ般若心経ですかね、色即是空と言う事の説明を偉いお坊さんがなさっておられましたが。こだわらない心と言う事だそうですね分かりやすく言うと。いわゆる色即是空である。こだわらない。自分がこだわっておったり不足があったり不満があったり、そういう心が起こったらもうこれを表面に出さずに。
 はぁまだ租借「が足らなかったんだと思うて、言うなら教えをもう一辺反復していよいよ、本当に自分の信心の血に肉にさして貰い、生活の信心生活の在り方を変えて行かなければならんと言う風に思います。今日朝から頂きましたお夢の中に、言うならば合楽のこのいうならばお徳の関りある合楽の全信奉者だけではない、全御霊様さんの上にでも同じ御比礼に浴しておるのでございますけれども。
 これは私の父の兄弟たちの今日の夢の中から感じますと、そういうおかげを頂きながらこれ以上どっか美味しいものがありはせんかと思うたり、せっかく頂いておる素晴らしい着物の、自分の着こなしが出来ないために、素晴らしいものと頂けずにおると言った様な事があると思います。改めて御理念の再実験実証を心の中に、起こる不平不足こだわりと言った様な事になるから、一段信心を進めて行かなければならんと思います。
   どうぞ。